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●小仏関所跡

戦国時代は、小仏峠にあって富士見関とよばれていたこの関所は、

小仏関所跡

武田、今川、織田などの有力氏が滅びると一度麓に移されました。

江戸時代、東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで、

甲州街道の小仏の関は「関東の三関」の一つです。

以後、徳川幕府の甲州口の重要な関所としてこの場所に移されました。

小仏関所跡

関所の絵図面が現地にありました。

概略の様子が分かります。

北は山に閉ざされ、南は小仏川と天然の要害にあり、

さらに橋とまわりを取り囲んだ塀によって

関所が守られているのが分かります。

もう少し綺麗な絵図面があると良いので、

市の観光課に整備を依頼しました。

近々、書き直してくれると思います。

小仏関所跡

この関所は、道中奉行の支配下におかれ、

共和9年(1623年)以降4人の関所番が配備された。

関所の通過は明け六つ(午前六時)から暮れ六つ(午後六時)として手形が必要。

鉄砲手形は老中が、町人手形は名主が発行した。


小仏関所跡

この手形は番所の前にすえられた手形石にならべ、

もう一つの手つき石に手をついて許しを待ったという。

特に「入り鉄砲に出女」は幕府に対する謀反の恐れがあるとして

重視し厳しく取り締まった。

抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の

罪が科せられるなど厳しかったが、

地元の者は下番を交代ですることもあって

自由な面もあったらしい。

明治2年(1869)1月の太政官布告で廃止され、建物も取りこわされた。


周辺を整備して、高尾梅郷の中心にしたいものです。

小仏関所跡

関所跡地に建つ駒木野宿の碑

小仏関所跡

区画整理によって、消滅した駒木野橋の名前を残すという地元の方々によって

この碑が建てられました。

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