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●御陵

甲州街道のいちょう並木から,御陵へ向かって曲がると、

綺麗な南淺川橋を渡ります。


御陵南淺川

初春の南淺川の景色です。高尾の山並みも良く見えます。

御陵南淺川

新緑の南淺川の景色です。

南浅川橋は、大正15年(西暦1926年)12月25日大正天皇崩御により、

当時の東京府南多摩郡横山村・浅川村および元八王子村

(現八王子市長房町・廿里町および元八王子町)地域に

御陵所の造営が決定しました。

これによって、

東京府が八王子駅と浅川(現高尾)駅間の仮駅から御陵(多摩陵)に至る

参道新設を行い、南浅川に全長約87mの木橋が架けられ、

南浅川橋と命名されたのが始まりです。

御陵南淺川橋橋暦

現在の橋は、昭和11年(西暦1936年)の大正天皇十年式年祭にあわせて、

東京府が木橋を架け替えたものです。

御陵南淺川橋

構造形式は、

関東大震災後の東京(帝都)復興時に開発されたコンクリートラーメン橋台の

コンクリートアーチ橋で、御陵参道の橋として、

御陵南淺川橋

威厳のある形式と周辺の自然との調和を考慮した意匠が施されています。

昭和64年(西暦1989年)1月7日の昭和天皇崩御、武蔵野陵造営にあわせて、

平成元年2月に東京都が南浅川橋の洗浄・補修、参道の整備を行いました。

御陵南淺川橋

現在の南浅川橋は、昭和11年12月に竣工 しました。

全長 53.3m 、幅員 21.4m 、鉄筋コンクリート造で、

コンクリートラーメン橋台、固定アーチ橋です。    
     
旧南浅川橋は、昭和2年1月竣工しました。

全長 四拾八間(約87.3m)、幅員4間(約7.3m)、木造で、木造桁橋でした。

市民の協力もあり、いつも綺麗に掃除された道が続きます。

御陵ケヤキ並木


御陵御陵入り口

いよいよ御陵の入り口です。荘厳な気持ちになってきます。

御陵ケヤキ並木

振り返るとケヤキ並木の美しさが見えます。


御陵北山杉並木

両側を北山杉の並木が続く、

綺麗に手入れされた玉砂利の参道を進みます。

御陵北山杉並木

右に曲がると、昭和天皇と香淳皇后の武蔵野陵と武蔵野東陵へ進み、


御陵分岐点

左へ進むと大正天皇と貞明皇后の多摩陵と多摩東陵へ行きます。


御陵武蔵野陵

1989年1月07日崩御された、第124代 昭和天皇の御陵は、

武蔵野陵墓地(むさしのりょう ぼち)です。

御陵武蔵野東陵

香淳皇后陵(武蔵野東陵・むさしののひがしのみささぎ)です。

御陵の前に、白いテントがあるのは、

ちょうど昭和天皇の祥月命日の日で、

皇族のお参りがあるためとの説明を衛視から受けました。

黒塗りの車が御陵前まで来て、女官のお参りに出くわしましたが

カメラを向ける雰囲気ではありませんでした。

御陵多摩陵

1926年12月26日崩御された、

第123代 大正天皇の御陵は多摩陵(たま の みささぎ)です。

御陵多摩東陵

貞明皇后の追号 「貞明」は、

「易経」にある「日月の道は貞(ただ)しくて明らかなり」が

出典とされています。

明治天皇と昭憲皇太后後の御陵は、

京都の伏見桃山にあり、明治神宮には御祭神(御霊)が祭られています。

[ 御陵 ]

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